ふるさとの山に向かひて

言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな


      (一握の砂 31)


       〜時計〜         詩 西岡たかし


青空を知ってるなら 教えてください 
  あなたも歌えるなら 聴かせてください  もしもあなたが 幸せなら
    時計の針が時を刻み 涙わすれて生きるときも
    胸の鼓動がいつまでも  水仙のように すがすがしい
       あなたで いるなら

青い鳥 信じるなら さがしてください
  白い雲 見つけたなら 知らせてください  もしもあなたが 幸せなら
    時計の針が時を刻み 涙わすれて生きるときも
    胸の鼓動がいつまでも  すずらんのように 清らかな
       あなたで いるなら

流れ星みつけたなら 祈ってください
  あなたも生きてくなら 叫んでください  もしもあなたが 幸せなら
    時計の針が時を刻み 涙わすれて生きるときも
    胸の鼓動がいつまでも  春風のように さわやかな
       あなたで いるなら

〜花と空に〜       詩 西岡たかし


やさしさを 見せるために 髪を長くしたのなら
やさしさは 心のもの  顔や形では つくれない
大空の青さだって  人の作ったものじゃなくて
青空は 心の中に  生き続けてゆくものでしょうか

  やさしさを 心の奥に 深くしまっているとしたら
  やさしさを できることなら 誰にでも あげてしまおう
  大空の青さだって 人の作ったものじゃなくて
  青空は 心の中に  生き続けてゆくものでしょうか

      やさしさを 求めることで すべて 済ませているとしたら
      やさしさの 花の中にも トゲや涙も見てほしい
      大空の 青さだって 人の作ったものじゃなくて
      青空は 心の中に 生き続けてゆくものでしょうか

教室の窓より逃げてただひとり

  かの城あとに

  寝にゆきしかな
            
(一握の砂 22)


不来方(こずかた)のお城のあとの草に臥て

  空に吸はれし

  十五のこころ
                (一握の砂 23)

東海の小島の磯の白砂に

 われ泣きぬれて

  蟹とたはむる

 
         (一握の砂 1)



   函館の 青柳町こそかなしけれ

    友の恋歌

     矢車の花

         
(一握の砂 35)

石川啄木 記念館

詩のプレートがある 弁財天橋

みすヾが働いていた西之端 上山文英堂商品館跡
           現もみじ銀行

青海島大橋

File.16 -1 啄木のふるさと ひとり歩き

           岩手県玉山村  渋民      旅した日  1994年11月5日

〜 鈴と、小鳥と、それから私 〜   詩 金子みすヾ


私が 両手を ひろげても
お空は ちっとも 飛べないが、
飛べる小鳥は 私のやうに、
地面(ぢべた)を 速くは走れない。

私が からだを ゆすっても、
きれいな音は 出ないけど、
あの鳴る鈴は 私のやうに、
たくさんな 唄は 知らないよ、

鈴と、 小鳥と、それから私
みんな ちがって、 みんな いい。

その昔

小学校の柾屋根に 我が投げし鞠

  いかにかなりけむ

盛岡

啄木歌碑

紅葉が素晴らしかった 盛岡城跡公園

石川啄木 新婚の家      盛岡市中央通3-17-18

啄木函館記念館
   土方・啄木浪漫館

しらなみの

 寄せて騒げる函館の

  大森浜に忍ひしことども

      
(一握の砂 36)

     傘傾げ


「傘かしげ
」とよみます。 雨の日 狭い路地で傘をさした人同士がすれちがう時に おたがいの傘が当たらないように傘を傾ける仕草の事です。
 この仕草は「お初しぐさ」といわれる「江戸しぐさ」のひとつで 子供のうちに習得するものだそうで、一言で言えば 感性(センス)なんだそうです。
 相手に対する配慮がしぜんと仕草に出る美しい行為ですね。
 
 今日は朝から鬱陶しい雨模様です。 仕事先のビルの玄関へ車から降りて飛び込んだら、 今風の学生らしきカップルと鉢合わせ。明らかに彼らのほうが
 先にガラスの自動扉を出て 彼女はすでにパラソルを開いた瞬間でした。私を見るなり 彼のほうは出かかったドアを戻り 閉まらないように手で扉を押さえ
 彼女はというと なんと玄関までの階段で私に傘をあてがってくれました。   うれしい雨の日になりました。

 今、はいびすかすは 60年〜70年代の曲を唄う事がたくさんあります。 懐かしいなぁ〜なんてよく言われますが 人並に文化的(?)な生活をしている現在と
 比べると それはそれは不便な事が山程ありました。 今年 はいびすかすは節目の歳をむかえました。 歌いはじめた あの頃の事を今一度再確認すべく、
 高度成長の影で 他人より自分の風潮、他人への配慮の欠如・・・・、  忘れかけていたものを 取りにかえろうと思います。
 
 さりげなく「傘かしげ」のできる人って、素敵ですね。          2010.5.7 hama

いびすかす が参加している 特定非営利活動法人(NPO) 「アコーステックギター ローカルネットワーク 戦うオヤジの応援団 」の
山下代表が 2008年4月に 「戦うオヤジの独り言・・・」 に投稿されたエッセイを ご紹介します

啄木公園の 歌碑

ふるさとの寺の畔の

  ひばの木の

  いただきに来て

    啼きし閑古鳥


           (悲しき玩具)

斉藤家と渋民尋常小学校旧校舎

鶴飼橋 から北上川を望む
生憎 曇天の為岩手山は望めず

函館  2003年12月13日

File.16-2  みすヾ の故郷 仙崎 ひとり歩き    
                      旅した日  2007年4月21日〜22日

 2007年 春、 26歳の若さで逝った 童謡詩人 金子みすヾ の故郷
 山口県長門市 仙崎 の町を歩いてきました

金子みすヾ へクリック

下関 『 金子みすヾ 詩の小径 』 を歩く

仙崎で生まれた みすヾ は二十歳の時 母の再婚先である 下関 に移り住み 詩を書き始めた

宝徳寺にある石碑
啄木はこの寺で育った

愛宕山「生命(いのち)の森」

盛岡から電車に揺られ ここ渋民駅から 渋民公園まで
  のんびり歩きました

仙崎 みすヾ通り にある壁画

みすヾ終焉の地 現安田生命ビル前

寿公園にある 金子みすヾ顕彰碑

      旧秋田商会ビル
現 観光情報センター・展示コーナーがある

殺伐としたニュースであふれています  そんな新聞の片隅の記事を
日常としてしまっている自分がいます  悲しいね  やさしく生きたいね
  はいびすかす の好きな 西岡さんの詩 です    
(著作権の関係上 転載禁止です)

はいびすかす がまだ若いころ 歌っていた時代
ベトナム戦争が泥沼状態におちいっていった時代
アメリカンフォークから やがて 日本語での反戦歌
はいびすかす が五つの赤い風船 を歌いはじめた あの頃と
30数年たった現在と ・・・ 人間て なんておろかな生き物なんだろう

富が世界を腐らせていく 」

ケント・キース と マザーテレサ

やはらかに 柳あをめる

  北上の岸辺目に見ゆ

     泣けとごとくに

駅前から青海島に続く みすヾ通り

かにかくに渋民村は恋しかり

  おもひでの山

  おもひでの川


      (一握の砂 28)

〜星とタンポポ〜            詩 金子みすヾ


青いお空の そこ深く
海の小石の そのように
夜がくるまで 沈んでる
昼のお星は 目にみえぬ
           見えぬけれども あるんだよ
                           見えぬものでも あるんだよ

    
    散ってすがれた タンポポの
    川原のすきに だぁまって
    春のくるまで 隠れてる
    強いその根は 目にみえぬ
      
見えぬけれども あるんだよ
                           見えぬものでも あるんだよ

JR 仙崎駅  風光明媚な 青海島への玄関口

民家の軒先にも さりげなく
 みすヾ の詩が・・・

仙崎小学校の みすヾの碑

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