拓のプロフィール 2 |
母になれる日 気管支肺炎にかかった拓には、授乳の練習は、出来なくなりました。 また、母乳を運ぶだけの日々が続きます。 そんなある日のこと、看護婦さんが、言いました。 「今日ね、たっくん、笑ったわよ。」 もう一人の看護婦さんも、 「私も見たわ。確かに、たっくん、笑ったわ。」 今まで、笑うどころか、音に対しても、物に対しても、まるで反応した事のなかった拓でしたので、 飛び上がるほど嬉しい言葉でした。 病院からの帰り道、 「これで、あの子の母親になれる。」 「もし、たとえ、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、一生歩く事がなくても、私は、 あの子の母親になれる。」 そう思うと、涙が止まらなかったのをよく覚えています。 |
一般病棟へ 拓は、4ヶ月になり、家へ帰る準備の為に、一般病室に移りました。 これが、母子がいっしょに生活するスタートでした。 病室は、2人部屋でしたので、この間、いろいろな方とお知り合いになりました。 その内の一人、Rちゃんは、拓より2歳年上で、寝たきりの重度なお子さんでした。 Rちゃんのお母さんは、何も知らない私に、いろいろな事を教えてくださいました。 この何年か先、私が迷った時に、Rちゃんのお母さんを頼ることになりました。 |
心臓病 一般病棟で半月ほど過ごし、拓は、初めて我が家に帰ってきました。 そして、5ヶ月の時、大学病院で、心臓のカテーテル検査を行ないました。 新たに付いた病名は、 肺動脈狭窄症 ・ ボタロー管の開存 ・ 心房中核欠損症 でした。 「とにかく、泣かせないでください。 隣の部屋で、泣いているのに気がつかず、気付いた時には、 冷たくなっていたなんて事になったら、取り返しがつきませんよ。」 と、医師には、強く言われました。 赤ん坊は、泣くのが仕事だろうが・・・とは、思ったものの、 実際、拓は、泣いても、声が出ませんでした。 少しでも気が付くのが遅れると、まぶたは、ポンポンに腫れ上がり、 チアノーゼで、皮膚の色は、赤茶けてしまいました。 |
眠れない日々 夏になると、拓の為にエアコンを入れました。 体温調節の出来ない拓は、エアコンを入れていても、自分と、布団との間に汗をかき、 汗をかいては、ぐずるという繰り返しでした。 汗をかくと、すぐ起きてしまう為、着替えさせました。 夜中に着替えが、7回繰り返されます。 1日では、20回以上の着替えです。 もう、こうなると、オムツが、おしっこでぬれる事は、ありません。 寝せてもらえない私は、朝となく、夜となく、いつも、もうろうとしていました。 |
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