事故は2001年の5/26日に起きました。
当時、私は前年念願の1級建築士に合格し、婚約もして
ある意味、人生の中で大きな岐路であり充実した時期に
起きた出来事でした。
まあ、そういう意味では起こるべくして起こった事故なのかも
知れません。
当時の私は自分自身におごりがあったのかなとも思います。
バイクは学生時代から好きで、大学生の頃、当時憧れだった大型バイクの
免許を取って以来、立ちゴケさえ一度も経験したことのない
無事故運転にバイクをコントロールする腕に理由もなく自信を
持っていました。
その日も、会社の友人とツーリングの約束をし
朝2人で峠へツーリングに出かけました。
過去バイクでツーリングをしていて時々事故っている現場に遭遇することも
ありましたが、他人事でまさか自分がそんな目にあうとは
夢にも思っていませんでした。
峠道に入り、大きくバイクを傾けながらけっこうハイスピードで
コーナリングしていたように思います。
後から他のライダーに追い抜かれた時
抜かれた悔しさでついついスロットルを多めにあけてしまいました。
そのライダーに追いつきコーナリングが迫ってきた時ブレーキングに入ったのですが
自分の予想外のバイクの挙動に次の瞬間
ハッとしました。
その後は一瞬でした。
でも、自分自身には結構長い時間に感じられました。
グリップを無くして大きく蛇行する後輪を必死にコントロールして
とにかく減速するよう暴れるバイクと格闘していました。
しかし、無情にもカーブが迫り、もうダメだと思いました。
目前は崖です。次の瞬間、私はバイクから放り出されたように
思います。
たぶん、ハイサイドに似たような状態だったように思います。
グリップが回復した瞬間、一気にバイクから放り出され崖下に落ちるのは
一瞬の出来事で、気がついたときには崖から落ちて
偶然、木に抱かれるようなカタチで崖の途中の枝に引っかかっていました。
「ああ、やっちゃった」と思いながらヘルメットを取って
ふと自分の足に目をやると、腿のトコロから白い骨が覗いていました。
それを見た瞬間から地獄の時が始まりました。
レスキュー隊が来て、崖から下され
病院を1箇所たらい回しにされ、結局手術台で麻酔を打たれるまで
6時間ぐらい経過していたように思います。
その間、痛みに苦しみながら薄々「足ダメなのかな」という
感触はあったように思います。
麻酔からさめて兄から「足を切断した」と言う話を聞いた時
自分自身、かすかな記憶しかないのですが「やっぱりそうか」と答えたようです。
その後、入院生活を始めると
当時婚約していた今の私の女房は毎日会社勤めを終えると病院に来てくれました。
今振り返っても、この恩は言葉に出来ないものがあります。
絶望の状態を、そう感じさせなくしてくれた大きなチカラになってくれていたのは
紛れもない事実です。
同年7/7日、病院を1ヶ月半で退院
その後、8月にはもともと勤めていた会社に復帰できたことは
例えようもない幸運だったように思います。
短い入院とリハビリのブランクがその後、良い方向に働き
5.5ヶ月後の11/11日には結婚式とハネムーンまでこぎつける事が出来たのは
周りの人の支えと、何よりも女房の支えがあったからこそ成しえた事だと
思います。
切断は私にとって大きな転換期になりました。
しかし、今の自分はその経験があったからこそ存在するのだと思うと
不思議な気がします。
切断そのものは、誰から見てもショッキングな出来事だと思いますが
そのことが、その人の人生にどう作用するかは当人の受け取り方次第です。
ここで、こうしたカタチでHPを開設して
この文章を読んでいただいて下さる方との接点も
この事故がなければ有り得なかったでしょう。
とても不思議な気がします。