なんせい鳥羽パールレース2004参戦記 2004/7/21-27
チェスナット6 J5157 佐藤公治


【はじめに】
 1974年.それまで仕事一筋だった親父が大病してRedStart(15ftクルーザー)を買った。お袋の好物「栗」からCHSETNUTと命名。2004年は、ヨットCHESTNUT設立30周年にあたる。はじめは家族だけだったクルーメンバーもCHESTNUT3世(YAMAHA21CEX)を1983年購入した頃(私が大学を卒業して愛知へ帰った)から少しずつ増えた。2000年にはY30SN(YAMAHA 30ft)を購入、チェスナットセーリングクラブとした。佐藤篤郎(2つ違いの弟、事務局)とコンビで三河湾の草レースやデイクルージングを楽しんでいる。クラブ員は、現在11人で気のいい仲間達が集まっている。しかし職種も違い、なかなか全員は集まれない。チームのモットウは「チームワーク」、公治(兄)と篤郎(弟)が口論しながらもスキッパーから事務局まで、チームをまとめている。クラブのホームページは、http://www.katch.ne.jp/~kojisato/yacht/yacht.html
 チェスナットのホームポートは、名鉄西浦マリーナ。西浦半島の先端にある。そこではヨットヤード下でバーベキューができ、気さくなマリーナで気に入っている。http://www4.ocn.ne.jp/~kankou/
 さて、今年は我々のチームで、助っ人無しで外洋レースの登竜門、鳥羽パールレースに参加することにした。自分自身はヨット歴30年、学生時代からヨット部で沖縄レース1980、小笠原レース1981、鳥羽パールレース1981から数回、そしてメルボルン大阪1991と外洋レース歴はあるが、最近は仕事が忙しくデイレースが精一杯。また他のメンバーは3年前からJSAF東海主催の五ヶ所湾レース(衣浦から五カ所湾)に出て修行したが真の外洋レース経験は皆無だった。チェスナット30周年、いよいよ期は熟した。

【参加メンバーの決定】
 これが今回一番苦労した。誰が回航に出られて、レースに出られるのか。日程調整。誰もがそう長期に休めない。かといってプロには任せたくない。自分たちの実力で達成したい。自分としても、今の職場に勤めて五年、46歳。次へのステップのためにもリフレッシュ休暇を取ることとした。久しぶりのロングクルージングは魅力的だ。結局、陸上部隊も含め18人がこのイベントに参加することとなった。この中には、ヨットに乗るのは初めての人が3人、また自分の息子二人(洋一16歳、敬太11歳)も入っている。行きの回航は、9人(公治、篤郎、洋一、敬太、佐藤寿、中村、石川、藤沢、伊藤通)。レースは9人(公治、篤郎、洋一、村上、中村、白井、水野、木村、濱田)、濱田さんは義足だがトライアスロンもする好青年。帰りの回航7人(公治、篤郎、洋一、稲垣、伊藤直、石川、向井)となった。篤郎、洋一(長男)、自分の3人は、7日間の約400マイルのヨット三昧となった。皆で楽しみたい。

【直前の準備】
 7/18に関係メンバーが集まり練習と準備をした。タック、ジャイブ、スピン、リーフ、落水救助訓練。なんとこの時、ジャイブでフォアーステーにスピンが巻き付き降りない事態に。いわゆる提灯。篤郎がマストにたたきつけながら登りスピンカット。スピンは回収できたが、フットが1.5mほど破れた。今年の五ヶ所湾レースで、30ノット弱の風と波で的矢沖にてリタイアしたのに続いて、クルーは意気消沈した。もう出られないのか。その晩、リペアテープで修理した。安全備品の位置点検、レースに不要なものを降ろし、食料、水分を積み込んだ。7/19は、「海と遊ぼう720」キャンペーンにボランティア参加。天候が良いことを祈りながら当日を迎えた。
 陸で待つ家族への連絡は重要だ。心配掛けている。家族の携帯などメールアドレスをまとめてメーリングリストを作った。ここへ送ると一斉に連絡取れる仕組み。実際、画像付きメールは安心させた。

【西浦から五カ所まで回航】
 7/21水曜、朝五時にマリーナ集合し五時半に出港、北西の風15kt、アビームで神島の東をぶっとんで快走。うねりも少なく、まれに見る回航日和。大王崎を11:30amに回ったとたんに、ぱたっと風が落ちて機走、南の風となった。レースで回る神の島暗岩を見に行き、回航してからは帆走、五カ所入り口に13:30,生け簀をスラロームしてヨットハーバーには14:15と早く着いた。
 五カ所/志摩ヨットハーバーは静かなところにあり都会とは別世界だ。鶯など鳥がさえずり、蝉が鳴き、ヨットのハリヤードの音が聞こえ、気持ちのいいところだ。1987年鳥羽パールレースに「ホライズン5」で参加し優勝、次の年の五ヶ所湾レースでここへ来て「BENGAL2」と出会った。それがメルボルン大阪参加へとつながった。と昔を思い出しつつ片づけをして魚料理の旨い割烹「やまぐち」へ、磯料理を堪能した。時間がゆっくり流れる。

【レース前日】
 7/22木曜、さぁ、レース前日、各艇のクルーがレースの積み込みをしたりし始めた。東京からの回航艇も続々入港。我々も帰りの回航の参考に潮の様子など聞いた。なんと52杯エントリー中7杯は潮と西風で下田、御前崎でリタイア。1杯は御前崎で座礁。気象情報では、西の風で、レース展開は早そう。
 和子が陸上から車で応援に。ヨットには乗らないと言っているが、結局はいつも手伝ってくれる妻に感謝。バナナなどの買い出し。午後からは出艇申告、恩師丹羽さん会う。コースが変更となった鳥羽パールレースの艇長会議、命綱の使い方中心に安全セミナー、講習者で桟橋が傾くハプニング。KAZIからの取材依頼、チェスナットのいわれやモットウなどを聞かれた。クルーを紹介しようとしたら誰もいなかった。そして6時から前夜祭が始まった。何となく少しずつ緊張感が高まる。うちのレースメンバー5人は名古屋から車で午後10時頃到着、旅館で合流した。
 前夜祭で、藤田さんから関東からの回航の情報として伊豆半島に沿って行くと良い。御前崎で注意は潮きついので深さ40mのところ、岸をなめるように帰っていくと良い、そして御前岩で座礁の話。参考になった。ヨットシャロンの杉田先生と錦見先生に会う。ハリケーンの石川さんからコースアドバイス、大島西だよ、風は15ノット以上吹かないと。篤郎以下クルーは、近くの二葉旅館へ、我々家族は磯部の宿へ引き上げた。

【レース】
 7/23当日朝、晴れ、風は無さそう。サンドイッチ、おにぎり、氷をコンビニで買い込んでヨットに7時過ぎには集合した。メインセールやシートをセット。当然、皆のテンションが高まる。ハーネスを付け、短パンとお揃いのブルーのTシャツ、赤の帽子。これは良く目立った。8時に船上でミーティング、コース、気象、まずは安全に。8時半出港。五ヶ所湾沖の楓ブイまで機走。風は東、神の島までアピームか。スピンをセットしている船も。スタートラインはフリースタート。こういうスタートラインは、スターボとポートの船が錯綜し当たりやすい。下マークよりからスターボでラインに詰め、二列目からでもいいから隙間をぬってスタートすることとした。本部船よりJASFレースを付けるよう指示を受けたが、JSAFエンサイン旗しか持っていなくて、家族が応援で乗せてもらったSEA FARER3より借りることとなった。10時10分スタート、新調したNo1Genoaを使いアビームで走った。スタートラインは良いところにいたので、中日新聞の夕刊に載った。なんとうちの周りは大型艇ばかり。メイン2003新調と3DLNo1Genoaで快走。  午前11:30神の島の暗岩にはコミティボートがいたが、洗岩と暗岩の間を通ることになり、肝を冷やした。その後も黒潮に乗るべく北緯34度03分まで南下した。潮に乗り+1-2ノットで、南東の風8-12kt程度でもありNo1を外ドリして快走。神の島から利島のラムラインより南をキープしながらタックを繰り返すつもりが、少し北へ入った。4時には日も陰り少し涼しくなった。夜の身支度を始めた。カッパ、ヘッドライト、航海灯の準備などを行った。
 午後7時に浜松沖で日暮れ、きれいな夕焼け。三日月が上った。三日月でも明るい。パールレースは一晩目が勝負だ。どの船も眠さは同じ。本船の行き交う御前崎沖は特にワッチが重要だ。あえて固定のテルテールランプを買わずに、バウマンに照らしてもらった。皆でレースに臨むことが重要だ。しかしテルテールを照らしているランプは、どんどん下がりバウを照らす。結局、懐中電灯をマストに固定することとなった。全員寝てしまい、ヘルムスマン独りぼっちではいけない。木村さんは、なんとジブシートを持ちながらいびきをかいてしまった。皆が飽きてきたら、「がんばろう」の合い言葉。気合いは入れるものか、出すものか。
 深夜0時、御前崎のカームに捕まった。ここは以前にもホライズンでピッチングやサイドステーを切ったこともある夜のイヤなところ。しかし今回は、空は満天の星、天の川が天頂にあり、流れ星に感動。中村さんが、何を託そうかな、レース中だからやっぱり「優勝優勝優勝」。白井さんがすかさず、やっぱり言いやすい「カネカネカネ」でしょうと!。御前崎南13マイル付近を通過し利島へ。
 利島付近はまた東の風となりタックタックでなかなか利島と鵜渡根島の間が入れない。実は誰も大島や利島を身近で見たことが無く利島を大島に、新島を利島に間違えた。GPSは正しい。篤郎の作った航海分析ソフトSNAVIと簡易チャートPECとの相性が悪いのかハングアップ。関東のヨットが利島の南を擦るように入っていく。そうか、ここは風向きより潮を使って東へ出られるようだと分かった。12時の定時連絡が繋がった。携帯電話は、五カ所沖の後ずっと繋がらずであった。結局午後12:30に利島を回った。
 利島の後、大島の東か西かで皆で議論。風が東なので東を選んだ。多くの船は西へ行った。やはり東へ流された。スピンランで江ノ島を目指す。御前崎まで近くにたくさん船がいたが、沖出ししたところで皆と別れた。利島付近では周囲に数艇。大島東へ回る艇は2艇、他の近くの艇は西へ行った。関東の船は、この付近はよく知っているのだろうと話しながら、半ばあきらめ気分。でも7/24土曜の夜中に入れば、予定より早いではないか。ここらは携帯がつながり陸上へ連絡。
 6時に定時連絡。まだ7艇しか入っていないと。えっ、それならもっとがんばらないと。一度たたんだスピンを、13ノットと少し風は上がっていたが再アップ。豪快に8-9ktでサーフィングした。実は先日来、どうも強風時のスピンがうまく行かないので、スピンアップは10ノットまで、揚げていても15ノットなら降ろす、夜は揚げない方針でいた。レース最後のチャレンジ。江ノ島灯台が見え始めたが、午後7時暗くなりトラブルを防ぐためスピンダウンした。いつまで暗闇かと思ったら町の灯りが見えてきた。ゴールが近く感じ、皆が感動し始める。江ノ島の西の海岸では花火が上がっていた。GPSに入れた軍艦の位置が違ったが電飾の軍艦は目立ち始めて見たがわかりやすかった。その後のマリーナへはいるまでの生け簀が暗くてわかりにくい。篤郎の軍艦の位置がなぜかずれていた。
 午後8時半フイニッシュ、180マイル34時間のレースは終わった。江ノ島ヨットハーバーへ入り着艇申告、28番目の着艇申告と。あれから2時間で20パイも入ったのか。あまりに天気の良い順調なレース展開に満足した。入港後、早々と片づけた。夜のフイニッシュで、シャワーもない(有料が2台のみ!)。マリーナの船底洗浄用ホースで水浴び、橋を渡って食事に出た。ファミリーレストラン、ラーメン屋でしこたま食べて飲んだ。夜の江ノ島は暴走族と若者の街でなにかあまりしっくりしない。感動も薄れた。クラブハウスでちょっとでも仮眠ができるところがあると良かった。ハーバーの外は蚊だらけ。
 さて、レースは長丁場なのでいかに戦意を続けるかが問題だ。役割分担を決めた。ヘルムとナビは篤郎と二人で。バウとメイントリマーを3人、ミドルを4人で、2時間交代のワッチとした。キャビン内では寝ないでヒールを起こすこととした。オフの人は、ドッグハウスに持たれても良いが、ワッチの人はライフラインでハイクアウト。一番古巣のクラブ員の村上さん(バウマン)はよく勉強してきた。遺言書を書いてくるほどの意気込み。責任感が強い。
 レース中の食料は、結局ヒールしていると火を使っておれない。アルファ米が、意外と美味しかった。日中の好天でペットボトルの水は温かくなり、それを入れてさらに体温(股とか)で暖めてできあがり。ウイダー(栄養ゼリー)は、満腹感は少ないが、冷やすとおいしい。一日目のサンドイッチ、バナナ、林檎は有功であった。水分は、はじめ一人3L/dayであったが、この暑さと、ヨットホライズンの安藤さんの話を聞き、一人4L/dayとした。飲み物は2L*8は残った。それにしても皆よく食べた。
 暑さ対策。瞬間冷却材を一個100円。一人2個分購入。ウエットティシュも必需品だ。
 燃料の軽油は、五カ所で15L追加、レース後ポリタン15L携帯、洋上で追加、西浦マリーナに帰って25L追加した。よって全行程55L使用した。バッテリー充電は一日二回一時間。

【帰りの回航】
 帰りの回航チームと7/24土フイニッシュ後、江ノ島橋の上で合流、早速回航用食料を積んだが、江ノ島付近の生け簀は出にくいので翌朝出発とした。7/25、5時に起き、5時半に出港した。せっかくここまで来たら、時間が許せば南下して伊豆七島を回りたいところだ。なんとしても火曜夜までに着きたい。帰りは向かい潮、今年はかなの北上しており相当大変との情報。まずは熱海に向けた。
 伊東の沖で風が上がり15ktオーバー、ふとみると大きな生き物が優雅に動いている。潮を吹いているので三河湾でよく見るスナメリかと思ったら鯨だった。ちょろっとした背びれと潜るときあの尾っぽを見せてくれた。10mはあっただろう。風も強く、感動しているうちに潜ってしまったので写真が撮れず全く残念。目に焼き付けた。風は17kt、機走をはじめ伊豆半島の東海岸を見ながら南下した。下田あたりからは風は落ちたが潮が悪い。神子元あたりの風は三角波の悪さは三河湾の師崎の比では無かった。なんとかGPSの指示するとんでもない方向へ舳先を向け回航、首尾良く帆走だけで行ったり来たりしているヨットを尻目に通り日の入りの午後7時に抜けることができた。続いて御前崎沖へ向けた。1-2ktの向かい潮だが、思ったほどきつくない。駿河湾の間ぐらいで御子元も御前崎も灯台が見えた。西に風が振れ、ジブを降ろし機走することとした。
 御前崎の沖で潮が悪くなってきたところで、前から黒い雲のすじが。局所的な前線と察知してメインを降ろしたとたんにぽつりぽつり。あっという間に土砂降りに。今まですり抜けていった本船も見えなくなった。右前に御前崎の光が見えたり消えたり。風はどんどん上がり30ktオーバー、マストだけでヒールする。うねりでコックピットに水も。機走で1-2ktしか出ず、御前崎沖が交わせない。局所的な前線なら夕立だからすぐやむはずが長い。空電頻回、恐ろしい。集中豪雨だ。皆に声を掛けながら、うねりを交わすが、小舟は翻弄された。神に祈った。何とか助けてください。御前崎に入ろうとも考えたが、午前岩の座礁の話も聞いていて、この嵐で入れないと思った。前線は北東から南西にあり、それを北西方向へ突っ切った。前線が過ぎて空が明るくなったが、また南へ流され前線の中 へ。また土砂降りとうねり。機走で乗り切れるか。コンパスで285度を保針、ハンディGPSで現在地を確認、GARMIN GPSMap76は役だった。メルボルン大阪で回航中、グアムで会った台風と同じくらい怖かった。スキッパーをしている自分は、実は死ぬ思いであった。篤郎は映画パーフェクトストームだという。あの最後は遭難している。いやなことを言うなぁ。みなにとにかくヨットに捕まり振り投げ出されないよう声を掛け合う。本船や流木に当たらないことを祈る。雷はヨットに落ちないと言うが、ライフラインは持っていて大丈夫か。こんなに死ぬか生きるかの時に、眠くて意識が遠のく、時計を見ると午前一時半。夜が明ければ状況は変わると信じて耐える。大雨で皆ずぶ濡れ、カッパを着ていても首から入りカッパの中に雨が貯まる。寒い。やはりヨットは夏でも冬支度。午前2時半やっと西へ出た。御前崎の西へ出たら走りやすくなった。気がつくとCHESTNUT帽子が落水して紛失していた。これくらいの事で済んで良かった。神様がこれくらいで許してくれたか。
 夜が明けると、少し落ち着き、軽油15Lを追加した。なんとか走れそうだ。浜名湖が見えてきた。トイレが故障した。弁の部分を分解。辛い仕事だ。渥美半島をなめるように走り、夕方6時伊良湖にせっついた。ここまで来れば、自分の庭だ。伊良湖水道を回り三河湾へ。伊良湖の発電所から西浦のホテル郡がやけに白く見えた。早く帰ってこいと、ここがホームポートと言わんばかりに白く光って見えた。師崎に夕日が沈んだ。
 午後7時半、マリーナに着岸した。江ノ島から160マイル、38時間であった。すべて終わった。早い展開だった。この日は上架できず、マリーナハウスへ宿泊、シャワーの後、魚丈で魚料理。7月27日(翌朝)、羽目板の下まで入念に掃除をした。
 初めてヨットに乗った向井さんは、クルー虎の巻で勉強し、オイルスキンも買った。そして鯨をみて嵐にもあった。うねりにも吐かず。ちなみに初めてヨットに振れてカッパを買うまでの期間が短い人ほどこの道にはまる人が多いと思う。

【所感】
 何が辛いといって、船酔いが辛い。幸い自分は酔わないが、子供は手首に酔い止めバンド。ある人は、トイレに行かないよう食べる量を減らすと。人が吐くと楽になる。責任をもって仕事をしていると酔わないし、酔えない。結局、気分の問題か。
 おしり対策。硬いヨットのデッキに座っているとかなり痛い。稲垣さん持参の釣り用のおしりパッドが有功。

【終わりに】
 篤郎と二人でがんばったイベントだったが、皆がそれなりに楽しめ、充実感が得られたと思う。皆の外洋帆走の自信もつき、大きな一歩となった。同型艇のCHARBOI2が、ORC-C部門で優勝、うちは9位。時間差はそう無く、一時一時を大事にすることが重要だった。でも初戦24着16位は画期的だ。潮との戦いだった。
 良く日焼けした。日焼けして荒れた唇にリップクリームが心地よい。真っ黒な顔で仕事に行くのが恥ずかしい。「また来年も出たい?」との質問に、「もちろん!」 でも「休みが取れたら」。8月7日西浦の魚丈で打ち上げ、大いに盛り上がった。

 お疲れ様、「チェスナット6」!


西浦から五カ所 49 nm

五カ所から江ノ島 164 nm

江ノ島から西浦 180 nm

合計 約400マイル