人生、ヨットがキーワード

名古屋第二赤十字病院整形外科 佐藤公治 昭和58年卒


ヨット三昧

 ヨットですか、リッチで優雅ですねぇ、真っ黒な顔はサービス業の医療職にはあまり似つかわしくない。実際は、見るほど・響きほど優雅ではない。船酔いはしないが、乗っていると苦しいこともある。実はヨットに乗ると早く陸に着かないかなぁと思い、丘に上がると早く海に出たいと思う。名整会員の中にもヨットに造詣が深い人が多いと聞く、三浦名誉教授はA級ディンギー乗り、何を隠そう脊椎班松山先生とは大学時代ヨット部、西医体の対戦相手だった。奥深いヨットの魅力は何だろう。僕の人生のキーワードがヨットか。ヨットの醍醐味について書いてみる。

私のヨット歴

 親父にヨットに連れてかれ三十年になる。1974年、仕事一筋の親父が大病をして15ftのヨットを買った。そのヨットはお袋の好物からCHESTNUTと名付けられた。親父と息子二人の三人で西浦の沖をちょろちょろ走った。そしてヨットの世界に本格的に入ったのは、大学へ入ってから。入学したその日に入部勧誘のビラを配っていた。ディンギー(SNIPE)乗り、体育会系の全学のクラブだった。インカレ、西医体、国体等に参加。六年間鍛えられ楽しんだ。ちなみに徳島大学ヨット部は今年創部50年を迎えた。1980年M1の頃、沖縄レース、M2で小笠原レースに出た。一ヶ月以上船に乗っていた。当然、留年しそうになった。
 1983年卒業し社会人になって、もうヨットに乗れないかと思っていたら、履歴書に書いたヨット部を目敏く見てくれた人がいた。半田病院で市のヨット部と邨瀬氏のHORIZONグループに誘われた。うちの船も21ftと大きくした。邨瀬氏と1987年ヨットHORIZONに乗って鳥羽パールレースに優勝。1991年メルボルン大阪ダブルハンドヨットレースに参加することになる。http://www.katch.ne.jp/~kojisato/yacht/yacht.html参照

久しぶりに外洋レースへ

 今年、チェスナットは三十周年を迎えた。1999年から第二日赤に勤めて5年たった。心のリフレッシュをするべく鳥羽パールレースに自艇でチャレンジすることにした。2000年から船をYAMAHA30SNとし弟の篤郎とチェスナットセーリングクラブを作った。クルーは三河湾しか知らないメンバーで太平洋へ出ることとなった。まさに井の中の蛙、大海へ。しかし助っ人(プロやヨット乞食)なしで素人軍団でのチャレンジは準備が大変だった。今時、一週間も休めないクルーばかり。2004年7月末、篤郎と二人で一週間休んで回航もすることとした。西浦から五カ所湾へ回航、五ヶ所湾から江ノ島までレース、江ノ島から西浦へ回航の全行程400マイルの航海。最近会話のない長男を乗せた。第45回なんせい鳥羽パールレースの結果は52艇エントリー中、24着16位とまずまずの成績だった。天気、風、うねり、潮、今回は乗りやすかった。参加記は上記URL参照。

ヨットから学ぶ

 「シーマンたれ」、焼き肉のたれではない。真のシーマンであること、これが難しい。またヨットの上は狭い社会、チームワークが重要、バランスを考える。これらは日常にも通用する。
 「投げたらいかん」、先日のパールレースでもあったが、他艇が見えないとついあきらめムード。気が抜けてしまう。フイニッシュ後、蓋をあけると寸差のゲームの事は多い。徹夜のレース、夜、自艇が辛いときは他艇も辛い。ロングレースでは戦意をもち続ける難しさ。最後までわからないのがヨットレース。
 「シーマンシップ」、見えない相手との勝負、相手は他艇であり自然である。そして自分かもしれない。外部から援助、情報を受けてはいけない。エンジンをかけてもわからない。それで勝って楽しいか。まさに自己への挑戦である。

船長は責任をとって死ぬべきか

 タイタニックやパーフェクトストームのDVD持っているが、船の遭難する映画は好きじゃあない。あー、今日は楽しかったという、メンバーも天気も海象も三拍子揃うことは少ない。風が強かったり、雨が降ったり。今までに何度か危ないことがあった。嵐はつらい、1990年グアムにて台風に遭遇。先日江ノ島からの回航で寒冷前線に突っ込んだ。土砂ぶりの雨、強風、寒さ、久しぶりに死ぬ思いをした。徹夜で耐える。極限で眠気がくる。いつかはおさまるはず。やっぱり投げたらあかん。海は怖い。船長は辛い。勇気ある撤退も必要だ。2004年5月の五カ所レースは、40ノットの風に翻弄され引き返した。

ヨット人口が減って

 どの船も新しいクルー不足。クルーの老齢化。いつまでもそれなりに楽しめる趣味と思う。先日、徳大ヨット部五十周年に行ってきた。今時のクラブは、陸上トレーニングをしないそうな、また合宿もしない。自分としては同じ釜の飯を食い、辛苦を共にした思いでは懐かしく心に残るし、またそれがチームワークに必要と思う。しかしそんな辛い体育会系のクラブには誰も入らないと。時代は変わったか。

ボランティア精神

 日赤に勤めてボランティアに気がついた。赤十字の国際医療救援、災害救護。趣味を通じて小さなボランティア。毎年チェスナットで、身障者ヨットレースに参加したり、海の日720キャンペーンでボーイスカウトなどの子供達を乗せている。アマチュア無線を利用して防災訓練、特に非常通信訓練に参加している。

ヨットがキーワード

 ヨットは奥が深い。またと同じ条件の海は来ない。レースからクルージング。船に乗ったらすべてが自己完結でないといけない。あらゆる事ができないといけない。SOSは最後の手段だ。それにどうせ救助は間に合わない。自分で責任を持つ。このヨットのルールは、自然を相手とするスポーツだから厳格だ。遊びで死んではいけない。
 ヨットをやっているということで、いろんな方と出会えた。いろいろな自然に出会えた。辛いことも楽しいこともあった。ヨットが自分の人生にいろいろなところで影響を与えた。やっぱりヨットはやめられない。陸に上がってお酒を片手にヨットの話は止まらない。
 やる気のある若いクルー募集中! 興味のある方メールをください。mailto:kojisato@med.nagoya-u.ac.jpへ。