拓のプロフィール 9 |
甘え上手 拓の小学校生活は、想像していたより、ずっと順調なものでした。 体調を壊して、学校を休むことも少なく、大好きなバスに乗って、毎日登校していました。 学校での楽しい遊びも、したくてたまらないのに、まず、お友達のするのを良く見てから、 それから、ゆっくり始めていました。 拓のクラスは、3人一クラスが、二クラスいっしょになって、一つの教室を使っていました。 子供6人に、介護さんも含めて、4人の先生が、看てくれていました。 介護さんは、どちらかと言うと、教員より、年配な方が多く、拓のおばあちゃん的存在です。 家におばあちゃんがいるせいか、拓は、介護さんに甘えるのが、とても上手でした。 |
心臓の手術 小学校6年の時のいつもの検診で、心臓の手術を勧められました。 3歳くらいから、チアノーゼもなく、学校に入ってからは、体力も付き、不思議なくらい風邪もひかず、 心臓が悪かったなんて、忘れていたくらいでした。 説明は、今は、たとえ元気でも、12歳くらいから、徐々に下降線をたどり、 悪くなってからでは、手術も出来なくなると言うことでした。 私達は、今のままで行けるのでは、無いかと思いながらも、手術する事に同意しました。 手術は、小学校の卒業式が済んでからの春休みにしてもらう事にしました。 その前の夏休みに、カテーテル検査が、行なわれました。 小さい時にした検査で、付けられた病名 「肺動脈弁狭窄症」 「心房中核欠損症」の所見は、見当たらず、 「ボタロー管の開存」だけが、残っていました。 ボタロー管と言うのは、心臓の外のにあって、人間皆持っているのですが、 生まれて肺呼吸を始めると同時に閉じてしまう管なのだそうです。 人は、肺呼吸をしてない胎児の内は、体をめぐってきた汚れた血液を 肺で綺麗にすることなく、へその尾で、母に綺麗にしてもらいます。 この時、肺に流れないように、再び、体にもどって行くように使われていたのが、ボタロー管です。 つまり、肺呼吸をしている人間には、もういらない管なんです。 いらないというより、あっては、困る管なんです。 私は、心臓を止めることなく行なわれる手術だし、ボタロー管を縛ってしまえば、 それでいいんだからと、簡単に思っておりました。 確かに、心臓の手術としては、一番簡単な手術だそうです。 でも、先生の説明では、 「動脈と静脈の間にある管と言っても、どれくらいの長さがあるのか、開けてみないと分かりません。」 「縛るだけのたるみがあればいいんですが、人によっては、管と言うより、動脈と、静脈がくっついていて、 その間に、穴が開いているだけと言う人もいます。」 「そうなると、縛れませんし、もし、静脈でも傷つけてしまったら、血は、天井まで吹き上がり、即死です。」 もう少し、柔らかな言い方は、ないものだろうか・・と、思いましたが、 手術の同意書に印鑑を押すしかありませんでした。 |
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